Flashはなぜその役割を終えたのか

Flashはなぜその役割を終えたのか。

Flashという名称が無くなってしまうーー2015年11月末、Flash Professionalのアプリケーション名称を「Adobe Animate CC」に変更するという発表がAdobeからあり、20年に及んだFlashの歴史が転換期を迎えました。「Flashは死んだ」と評されてすでに久しいですが、存在よりも先に名称が消えてしまうことになるとは思わなかった方も多いでしょう。

W3Techsによる調査結果では、2015年12月現在、ウェブサイトでのFlashの採用率は9.6%にまで落ち込んでいます。2011年1月の同調査では28.5%だったことを鑑みると、ウェブにおけるFlashは着実に終焉に向かいつつあるようです。

Flashはウェブに新しい可能性をもたらす主導的役割を果たしてきました。オーディオやアニメーション、インタラクティブ機能やビデオなど、Flashはウェブの発展に大きく貢献してきたのです。(筆者訳)

名称変更のアナウンス後、Adobeは公式ブログの中でこのように述べています。Flashの名称が無くなるのは非常に寂しいことですが、それは自明の理であるとも感じます。なぜFlashはその役割を終えたのか。作り手とユーザーの両方の観点から感じたことをまとめます。

Flashサイトの時代

2000年代前半、当時のウェブ環境は今よりも貧弱でした。一般家庭ではネットの常時接続は普及しきっているとは言えず、ユーザーのマシンスペックは低く、ウェブブラウザの互換性にも大変悩まされていた時代です。ソーシャルメディアもYouTubeもまだ存在せず、携帯電話はもちろんガラケーでした。

企業が、通常のサイトでは表現できないようなメッセージや体験をユーザーに届けたいと考えたら、そこで技術としてFlashが選択されるのはごく自然なことでした。互換性がほぼ保証されている環境で、インタラクティブなコンテンツや軽量のアニメーションなどを自在に作れるFlashは、目的達成の手段としても制作コストの面でも最適解といえるツールだったのです。あらゆるサイトでFlashの採用が進み、企業、制作会社、デザイナーや開発者によって多様なチャレンジがなされていきました。

当時のサイトの例として、中村勇吾氏によるNECのPRサイト “ecotonoha” を挙げたいと思います。ecotonohaは、ユーザーの投稿したメッセージがインタラクティブアートになり、それが最終的にリアルの環境活動(植林)に反映されるというロジックを備えたサイトで、カンヌライオンズのグランプリ受賞など高い評価を受けました。企業活動とユーザーとをつなげるインターフェイスとしてFlashが使われた事例となり、業界の方向性にも影響を与えました。単なるアニメーションプレーヤーとしてではなく、良質なコミュニケーションの手段や、メディアアートのプラットフォームとしてFlashを活用できることが示されたのです。

ecotonoha
ecotonoha (※スクリーンショットはtha ltd.様のサイトのものです)

2000年代中盤には、Flash Playerの普及率は100%近くになり、Flashは黄金期を迎えました。しかし2010年の春、AppleがiOSのFlash対応を拒否したことにより、Flashは一気に斜陽なテクノロジーとしてみなされるようになります。

Thoughts on Flash

AppleがFlashを拒否した理由は、スティーブ・ジョブズによる文書 “Thoughts on Flash” で詳細に綴られていますが、Web標準でないこと、プロプライエタリであること、マウスを前提に作られていること、品質やパフォーマンスの問題、Adobeの対応の遅さなどが挙げられています。

Thoughts on Flash

しかし、Appleが指摘するまでもなく、その終焉はすでに始まっていたようにも思えます。Flashの存在に影響を及ぼすようなサービスや製品が、2000年代後半に複数登場していたからです。

2005 YouTube
2006 prototype.js、JQuery、Facebook、Twitter
2008 Facebook(日本語版)、Twitter(日本語版)、iPhone 3G、App Store、Google Chrome、T-Mobile G1 (Android)

特に、2008年頃が重要な転換点だったことがわかります。企業にはソーシャルメディアという新しいチャネルが与えられ、彼らがメッセージを発信したり顧客とコミュニケートしたいとき、孤立した独自のウェブサイトを作らずともそれが可能になりました。

iOSとAndroidの登場はもちろん決定的な出来事です。モバイルにおけるウェブが一般的なウェブとイコールになり、これからのサイトはHTML5/CSS3で構築すべきなのはもはや自明でした。コーポレートサイトなどのコンテキストから離れて、ユーザーに特別なコンテンツを体験させたい場合でも、特設サイトでなくネイティブアプリを提供するという選択肢ができました。

ユーザーにとってのウェブも変わり、可処分時間の使われ方も大きく変化します。ヘビー級のリッチコンテンツよりも、短時間で楽しめ、それを手軽にシェアできるようなものがユーザーの生活に馴染むようになり、シェアの仕組みを持たないものはウェブで目に留まりづらくなりました。

Flashは別のテクノロジーで置き換えが可能になっただけでなく、ソーシャルメディアやスマートフォンの登場でウェブをとりまく環境が変化し、ひいては作り手(企業)の論理とユーザーの行動が変わったことで、その役割を失っていったように見えます。

そのときAdobeは何をしたのか

時代にFlashをアジャストさせたかったのならば、Adobeにはもっとやるべきことがあったと思います。

最低でもコンテンポラリーなUIライブラリやガイドラインを提供し、スマートフォンでどのような体験があるべきなのかのアイデアや哲学を自ら示していれば、Flashの将来はもっとましなものになっていたかもしれません。例えばParseのようなmBaaSを標準で提供するなど、プラットフォームとして打てる策もあったかもしれません。Adobeには何かビジョンはあったのでしょうか。

Adobe Freedom of choice キャンペーン
Adobeはその後、Appleへの反撃ともいえるキャンペーンを展開したが、状況が変わることはなかった。

かつて、粗悪なFlashコンテンツが散見されたことを思い出してみてください。例えば、サイトの冒頭で長時間のローディングが始まるのは非常にありがちなことでした。ユーザーは、見た目や振る舞いまでもが独自のルールで作られているUIを与えられ、学習を余儀なくされます。派手なだけのナビゲーション、小さすぎるボタン、無意味なアニメーション、マウスホイールに反応しないスクロール領域、URLを持たずブラウザの履歴が使えないページ構造など、非常に「Flash的」なストレス要因をはらんだサイトは決して珍しくありませんでした。

不幸にも、そのようなBad UXを防ぎ、体験の平均値を底上げするような標準のライブラリあるいは指針が、Flashにはほとんど存在しませんでした。優れたFlashサイトはその欠落を自力で補い、自発的にUXを損なわないように努めていたのです。

Adobeがワンソース・マルチデバイスを維持しながらFlashを進化させてきたことは賞賛されるべきです。しかし、彼らはテクノロジー以外の側面や、Flash Playerのステージの外側にあるものについて思想やビジョンを持っていたのでしょうか? 違いを生み、時代を啓いてきたのはウェブや広告に関わる人たち、デザイナー、開発者でした。

そして、まったく新しい地平が開拓されようとしていたとき、Flashは我々に道を示したでしょうか? 道を示したほうのプラットフォームにビジネスや人が引き寄せられたのは、ごく当たり前の成り行きだったのだと思います。

それでもFlashは素晴らしい

Flashという名称は無くなりました。個人的にも、Flash Professionalを起動することは本当に少なくなりました。それでもまだ、初めて作ったトゥイーンアニメーションが動いたときの感激は鮮明に覚えていますし、Flashへは感謝の言葉もありません。ツールとしてのFlashの素晴らしさに疑いの余地はなく、これからデザイナーやプログラマーを志す人たちが新しいAnimate CCに触れて、同じような感激と喜びを得てくれることを願っています。Adobeが特化させようとしている方向に、おそらくAnimate CCの未来がしっかりとあるのだと思います。

時代に逆行して、超リッチ&ヘビーなFlashサイトをあえて作るのもクールかもしれません。ときにはUXなど度外視して、思いのままに作ったコンテンツを世に放ち、酷評やノーリアクションに涙することも必要ではないでしょうか。奔放だったかつてのFlashサイトたちを懐かしく思いながら、そんなことを考えたりもします。

この記事は、UXデザインメディア “UX MILK” へ寄稿させていただいた記事のオリジナル稿です。また、本サイトへの再掲にあたり加筆・修正などをしています。
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